チセの知恵 現代建築に (北海道新聞 2007年6月5日に掲載されました)

2007年6月5日(火) 北海道新聞に【外断熱の地熱住宅】の記事が掲載されました。


★チセの知恵 現代建築に★

北海道新聞 掲載記事

*記事を読んでいただくため、白黒画像にしました。(画像をクリックすると拡大表示されます)


(記事内容:北海道新聞 2007年6月5日に掲載された内容)
チセの知恵 現代建築に
(冬も暖か)

百年前ごろまでアイヌ民族が住居として建て、使っていたチセ(家)。
丸太を組み、アシなどでふいた簡単な構造なのに、極寒の道内で人々を寒さから守ることができたのはなぜか−。ある研究者がそんな疑問を持ち、十年かけてチセを"科学した"。すると、暖房のカギとして「地熱利用」が浮かび上がった。研究成果は千葉県の住宅メーカーが新型住宅に活用。先人の豊かな知恵は現代の建築によみがえり、全国に広がっている。(久田 徳二)

1981年。当時、道教育大旭川校非常勤講師だった宇佐美智和子さん(現、「ecoハウス研究会」顧問)はチセの謎を解明しようと、旭川郷土博物館(現旭川市博物館)との共同研究を始めた。
上川管内鷹栖町内のチセに泊り込み、室温や地温などを詳しく測定、十年かけてチセの環境を調べた。
宇佐美さんは、気温と地温の関係に着目。気温は夏高く冬低いが、地下五メートルの地温は秋に上昇し十一月に最高の10度、春に下降して六月に最低の八度となる。宇佐美さんは「夏の太陽熱を大地が蓄え、冬まで持ち越しているのではないか」と考えた。
「雪解け後に地中から草木の命がよみがえるのも、動物の冬眠も、この大地の恵みがあるからなのでは」。宇佐美さんは北海道の自然に学ぼうとした。それはアイヌ民族も同じだったろう。
宇佐美さんは「床作りが大事」と言う。アイヌの人たちは土間表面に直接、アシを敷き詰め、その上にカヤで編んだスノコとガマで編んだござを敷いた。「大地に服を着せて地温が逃げないようにしている」と見る。
もう一つの大事な仕組みがアペオイ(炉)でのたき火だ。
「実験を始めた当初は、寒くてまきをどんどん燃やしましたが、逆効果でした」と宇佐美さんは振り返る。チセ全体の外断熱の役割をしていた屋根の厚い雪がたき火で解け、加えて気流が発生して暖気を逃がし、外気を引き込む結果になったという。「死にそうな寒さを体験しながら、アイヌ民族の本当の知恵を理解していった」という。
その「知恵」とは、炉の火を一年中絶やさないこと。アイヌの人々の間にはその大切さが代々言い伝えられている。チセの新築から使い終わりまで、二十四時間三百六十五日、小さな火を決して消さないのだ。
「たき火熱が地表近くの冷え込みを防ぎ、夏から冬に蓄えた大量の地熱をじわりと使えるようにする」と宇佐美さん。
①地下の大蓄熱層から熱が伝わる
②炉の火を絶やさない
③床をしっかり作る
の三つこそ、チセが暖かい秘密だったのだ。

チセ平面図
●チセ平面図●
代表的なチセの内部。左座、右座は神窓より見ている。神窓以外の窓は左になることも右になることもあった。


■千葉のメーカー 「炉の火」と「地熱」を応用

これをまるごと現代建築に応用したのがエコホームズ(千葉市、玉川和浩社長)の外断熱・地中熱活用住宅「エコシステム」だ。地上部分を外断熱材で覆う点では従来型住宅と似ているが、床下が地面に開放され、地熱を受け取れるような構造。ふたのない空き缶を逆さにして地面に埋め込んだようなものだ。
初秋から冬にかけては、住宅上部にたまる温かい空気を床下地面へ送って蓄熱し、冬はこの放熱で家中を暖める。夏は、冬から持ち越した地中の冷熱をダクトで吸い上げて家中を冷やす。
暖房費用が極端に低く「究極のエコハウス」とされるこの住宅は2000年度の環境・省エネルギー住宅賞を受賞。千葉県内に630棟の建築実績がある。同社を中心にした「ecoハウス研究会」には岩手県から大分県まで全国二十八社の工務店などが参加し、「千葉県外でもすでに三十棟近くが建っている」(玉川社長)という。

床下システム心臓部
地熱活用住宅の「床下システム」心臓部。屋根の下に設置した2つのモーターが住宅上部と床下地面の間の空気の移動を制御している(エコホームズ提供)

■イコロ(宝物)■
チセ(家) 語りや祈り 一家集う場

チセ
道ウタリ協会網走支部が網走市内に建設し、五月下旬に完成したチセ。左に見える窓がロルンピャラで、南西を向いている(久田徳二撮影)

アイヌ民族の住んだ家屋。丸太で組み、アシやササでふいた。長方形の床の中央にアペオイ(炉)、床の短辺側の壁にロルンピャラ(神窓)を設ける。神窓の反対側の壁に入り口があり、その外側に玄関兼物置の小屋を造る。
食料や水を調達しやすく、水はけがよい安全な場所を選んで、一世帯で一軒を建てる。小さくて十坪(約三十三平方メートル)、大きくて三十坪(約百平方メートル)ほど。一度建てると二十年以上住んだという。
高い山や川の上流、日の出の方向が尊い方角とされ、炉から見て神窓の方向がそれに当たる。神窓のすぐ外にはヌサ(祭壇)が設けられた。また、屋内での祭事では神窓と炉を結ぶ線上が「神の通る道」とされ、参加者たちはその「道」と炉をはさんで向かい合うように座った。
チセは食事や就寝、育児の場であり、語りや祈りの場でもあったのだ。
(久田 徳二)