【木材のルーツ】
日本は古くから「木の文化」として性格づけられるほど、日常生活の中にまた、あらゆる建築物に木材を用い、かつ親しんできた。縄文・弥生時代にかけての竪穴住居、古墳時代の埴輪家に見るような豪族の屋敷、王朝時代の宮殿などはすべて木材によることは言うまでもないが、時代が下がって明治に西欧文明を受容するまでは、たとえば永遠性を求める宗教建築にも、防衛第一とする城郭もすべて木材で構築し、それ以外のものを用いることは皆無であった。おそらく日本はこうした面で世界唯一のものであろう。
先史時代から古墳内部の巨大な石材の組み立て、近世城郭の石垣を築いた石材の技術にも事欠かなかったのであるが、木材が用いられ続けてきた。
木あるいは木材は、日本人にとって単なる物質ではなく、精神的なつながりを有するものであったことは、木魂「こだま」とか木霊「もくれい」という古い言葉の中からも理解できるものである。
私達の祖先は、古代においても木についてのかなりの知識を持ち、その材質を良く知り、適材適所に使い分けたことが「日本書紀」に記されていて興味深い。
すなわち、神代において、すさのおのみことが「ひげを抜いてまくと杉に、胸の毛を抜いてまくと桧になった。尻の毛を抜くと槙となり、眉毛はくすのきとなった」そしてその用途を定めて「杉とくすのき、この両樹は舟にせよ。桧は美しい宮殿を作る材料にしなさい。槙は人々が奥城(墓)に臥す棺材にしなさい。また、沢山の木の種はすべて良くまいて芽を出させなさい」と述べるとともに、その子である、いたけるのみこと、おおやつひめのみこと、つまつひめのみこと(いずれも大屋、妻屋を意味する建物の神)の三種にも各地に良く種をまかせた。
このことは当時すでに我国で植林が行われていたことを意味するものであろう。
桧が宮殿に用いられているのは、伊勢神宮の例からも分かるし、発掘された古墳時代の舟の材料は楠あるいは杉が多く、出土した木棺の材料がしばしば高野槙であることからして、考古学の知見と一致するところである。ことに太古以来、建築用材として用いられた桧は、万葉集などで枕詞として「真木さく桧」とあるのは、当時板を作るのに筋の良く通った真木(真直ぐな木を)選び、クサビを打ち込んでさき、チョウナ、槍カンナで削って白木の肌の美しい用材に仕上げたことが分かる。
古代の黎明期、あるいは日本文化の形成期とも言うべきこの時代に、伐採と植林、運搬と加工、材質と用途などという、木材に関する基本的技術体系とも言うべきものが確立していたことは驚くべきことである。
ヨーロッパの「石の文化」、「鉄の文化」に対して、自然との関わりの深いこの日本の「木の文化」の香りの高さに、あらためて現代の意義を見出さざるをえない。木を除いて日本の文化を語ることはできないのである。